これ、ブログか?

うんうん、それもまたブロカツだね

Kalafinaについて

「について」なんて大層なくくりで始めていますが、ただただ整理しきれない想いを吐露するだけになると思います。

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3月に入ってからだったでしょうか、それとも2月だったでしょうか。飛ばし記事で梶浦さんの退社と、Kalafinaからのメンバの脱退が伝えられてから自分たちはずっともやもやした気持ちを抱えてきたのですが、本日遂に公式からの発表がありKeikoさんが抜けることが確定しました。

振り返ってしまうといくらでも想いが溢れてきてしまいますし、それは追々少しずつ書いていこうかなと思っています。でも今は振り返る前に、過去を求めず、前へ、未来へ進むという決意をどこかに刻んでおきたいのです。後ろを視るな。前を視ろ。下を向くな。前を向け。止まるな。走り続けろ。

Keikoさんはストイックという概念そのもののような存在なんです。自分は「常に何かを得たり、進んだり、強くなっていなければならない」という強迫観念に近いものを感じながらもそのように生き続けることができず、しばしば心身が捻れてしまうのですが、そんな自分にとってKeikoさんは極致に至った存在です。

たった一度の機会になってしまいましたが、サイン会に当選したことがありました。他の方はいつも応援してます、とかライブよかったです、とか小粋なトークをしていた(と思う)のですが、自分はKeikoさんにその生き方を尊敬し、自分にとってあまりにも凄い存在であるということを、コミュニケーションを何も考えていないただの一方通行な押し付けで伝えてしまいました。そんなことを言われても困ってしまいます。これはサイン会の開催理由になった本、別冊カドカワ

ーーー大変ではないですか?

「楽しいですよ。だから疲れもしない」

 と答えている部分が本当に衝撃で、冷静な思考ができなかったという言い訳があります。この帰り道は落ち込みました。結構本気で電車に飛び込みそうでした。なんてことを言ってしまったんだと。後日、落ち込む私にある音楽グループの熱烈なファンである友人が「でも想いを伝えられたんだよ!それでよかったんだよ!私なんて話したこともない、伝えたくても伝えられないんだから!」と言ってくれて少し救われた気持ちになりました。一方的な押し付けであったのは間違いないのですが、ただ一度の機会に「私は貴方が好きなんです」と心のすべてを以って伝えられたのは幸せだったなと今は思います。

梶浦さんの退社の話からこれまで通りの活動はありえないと分かりきっており、本人たちが納得できない不本意な形で無理やり続けてほしくはありませんでした。応援しているのはKalafinaに与えられるためではなくて、Kalafinaに幸せになってほしいからであって、決してファンの願望を叶え続けるために摩耗する装置にはなってほしくなかった。それだけは絶対に避けたかった。 だから、この結末は決して最善とは言えないものの、最悪ではないと思っています。

実は脱退の報道があってからも不安はありませんでした。誰が抜けても解散しても必ずもう一度Wakanaさん、Keikoさん、Hikaruさんが集うと確信していたからです。未来視と言ってもいいくらい。……昨日までは。過去形になっているのは、今日発表になったKeikoさんのメッセージで音楽活動をやめることを示唆しているように、少なくとも音楽を続けるとは話していないからです。これは完全に想定外で、そして想定外ということはつまり自由に生きて欲しいと言いながら、Keikoさんの未来の道筋をある範囲内に決めつけていた自分がいるのです。

願望装置にはなってほしくない。Keikoさん自身が在りたいように在ってほしい。止まっても、道を変えても、どんな在り方でも。でも、でもやっぱりKeikoさんの音楽が好きなんです。好き。

願望装置にはさせない。その一助になり得ることはしない。できない。許さない。自分であっても。自分だからこそ。

今はKeikoさんが次の旅へ進むのを待つのみ。でもいじいじしながら待ってどうする。そうじゃない。そうじゃないだろう?だって自分はKalafinaに出逢った自分なのだから。その自分が止まるなんて在ってはいけないのだ。