ペンギン・ハイウェイを観て涙が止まらなくなった話【ネタバレ感想】
誰にでも、忘れられない夏がある。
僕は忘れてしまうかもしれない。でも忘れたくない夏になった。
それは少し前のこと、twitterのあるフォロワさんが「ペンギン・ハイウェイをみろ」に改名していた。ネタでスクリーンネームを変えることはよくある。だけれどもここまで直裁的なのはよほどの事態だったのだなと思い、高レベルの出不精を抑え込んで観に行こうと決めた。その後も型月クラスタが異常な反応を示しているのが観測され、特に「Fate」「抑止力」「エミヤ」という僕の特攻ワードが見え(残念ながら「おっぱい」は僕の特攻属性ではない)、一体どういうことなのかという困惑と期待を持ちながら観に行った。
観た後、僕のスクリーンネームは「ペンギン・ハイウェイを観た」になっていた(宗教上の理由で"観ろ"は避けた)。劇場で涙が止まらない中気づいたら変えていた。
これは感想ブログなので感想を書こうとしているのだけれど、先ほどから言葉が出てこない。涙ばかり出てくる。
僕は割と作品に触れた時に泣いてしまう方だと自覚しているのだけれど、それを踏まえても今回はヤバイくらい泣いていた。「涙が止まらない」というやつだった。唇がぶるぶるする「あっキテる」と分かる段階を過ぎて、嗚咽が出る寸前でなんとか口を押さえて耐えていた。僕の左肩の上で僕が「まじで?やばくない??」と見ているのを感じた。
「泣く」ことが名画の指標であるかのように表現したり、「泣けたから素晴らしい」みたいに推す論評があったりするけど、僕はあれが死ぬほど嫌いだ。じゃあなんで泣いた話をしているかと言えば、なぜあそこまで涙が止まらなくなったか分からないのだ。分からないから検証しているのだ。
別に「泣かせ所」があったわけではなかったと思う。多分単純に「僕の好きな物語」がこれでもかという純度と速度で脳に叩き込まれた結果、あわわわどうしよう??って感じになって、ただただ泣くことしかできなくなったんじゃないかな。
それは少年とお姉さんの物語だった。大人が大人を自覚し子供が子供を自覚し、それでも相手を想う物語が好き。
それは科学の物語だった。不思議な話ではない、不思議を解明する科学の物語が好き。
それは人を導く物語だった。お父さんが「答え」を教えるのではなく、「手法」を教え、時に「意見」も言うが「正解」を押し付けないのが好き。
それは強い人間の物語だった。それは前を向く人間の物語だった。それは未来に出会う約束の物語だった。アオヤマ君とお姉さんは”この物語”では別れて終わってしまう。解っていたけどアオヤマ君は進んだ。でもアオヤマ君とお姉さんの物語は続く。二人は必ず出会う。きっと何度でも。そう信じられるのが好き。
僕の仮説だと最後の要素が主たる要因だと考えていたけど、それは正しかったみたい。だってこの項を書き始めてから鼻水の味がするほど泣き出したから。あっ、あともう一つ。
それは最高の曲で締めくくられる物語だった。エンディングの「Good Night」が本当に本当に素晴らしかった。特にA,Bメロが終わってラスサビに入る流れが前述の嗚咽事件現場で、あの深く深く沈んでから一気に上がっていくのが好き。そしてそこから、この歌詞をもってくるのが好き。
この頃の僕を語らせておくれよ
この頃の僕を、この頃の僕を
お姉さんのことを忘れたくなくて、たくさんグッズを買いました。